『京都六角通の獏さん 一、夢路の鬼と赤い傘』で伝えたいこと
『京都六角通の獏さん 一、夢路の鬼と赤い傘』(アプリーレ文庫)
【あらすじ】
他人の夢に迷い込む不思議な体質の美緒は、京都・六角通で怪しげな店を営む獏に助けてもらったことをきっかけに「鬼探し」を手伝うことになるが……。
他人の夢に迷い込んでしまう大学生・美緒と「夢嫌い」な獏のふたりが「夢」から現実を紐解く、京都が舞台の「もう一度歩き出す勇気」をもらえる現代ファンタジー。
【配信先】素敵な表紙イラストは稲垣のん様です。
表紙に描かれているものは全て小説に繋がっているものになっていますので、素敵なイラストに惹かれた方は、ぜひ小説も読んでいただけると嬉しいです!
『京都六角通の獏さん 一、夢路の鬼と赤い傘』冒頭お試し読みはこちらから。
以下はこの作品を書くまでの話や作品への想い、キャラクター達について語っています。キャラクターの設定などについて少し話しているのでネタバレが苦手な方はご注意下さい。
私がこの作品を通じて伝えたい想いについても書いているので、一読いただければ幸いです。
表紙に描かれているものは全て小説に繋がっているものになっていますので、素敵なイラストに惹かれた方は、ぜひ小説も読んでいただけると嬉しいです!
『京都六角通の獏さん 一、夢路の鬼と赤い傘』冒頭お試し読みはこちらから。
以下はこの作品を書くまでの話や作品への想い、キャラクター達について語っています。キャラクターの設定などについて少し話しているのでネタバレが苦手な方はご注意下さい。
私がこの作品を通じて伝えたい想いについても書いているので、一読いただければ幸いです。
この物語は投稿作品として考えていたものでしたが、作品の主人公である美緒と獏らしきキャラクターがいたのは投稿を始めるもっと前、学生時代からでした。
学生だった私は「作家」という夢を持ちながらも「どうせ私なんか無理に決まっている」と、そう思っていました。
どれだけ楽しい明日が来ると無理矢理考えたところで、翌日教室のドアを開けるとまた辛い時間が始まる。楽しいこと・前向きなことを考えたって、現実はどうにもならないと思っていました。
叶うかどうかもわからない夢を見て虚しくなるよりも、あるかどうかもわからない「いつか」を考えるよりも、痛む胃を抱えて、飛んでくる言葉や物を避けながら今日をどう乗り越えるかだけで精一杯。
「いつまで続くんやろ……」
先のことなんて考えたくなくて、消えてしまえるなら消えてしまいたかった。
朝が来ることが恐くて不安でたまらなかった。
眠れない夜や当時の私を支えてくれたのはたくさんの作品や、頭の片隅で考えていた話やキャラクター達でした。
ありがたいことに作家になってからも、この時に考えていた話やキャラクター達を忘れることはありませんでした。
「いつか作品として書きたいなあ、書けたらいいなあ……」
そんなふうに思ってはいたものの、なかなか書く決意ができませんでした。
全く意図していなかったとは言え、美緒は高校時代にいじめられたことから、大学進学をきっかけに京都に戻ってきたキャラクターで、自身の気持ちや経験などを参考にしたキャラクターを書くことは私にとって、ひどく不安でした。
「この物語やキャラクターを書くことは無理かもしれない」
辛かった時の私を支えてくれた大切なはずの物語やキャラクター達。
辛かった時の自身のやり直しのようになってしまうのではないか、そう思われるのではないかと不安で仕方ありませんでした。
大切だからこそ、そんなふうにはしたくないし、思われたくない。
何よりも美緒を「かわいそうな子」にだけは絶対にしたくないとそう思いました。
私がこの物語を書く決意ができたのはたくさんの人と出会って、話をさせていただいたことがきっかけでした。
特別なことを話したりしたわけではありません。
けれど話をさせていただいたことは、私の想いをたしかに変えてくれました。
同じ席について、同じ目線で、友達と笑いながら話すこと。
それはかつての私が憧れていたことで、それをたくさんの人が叶えてくれました。
話す中で大変だったことなども話したり聞かせていただいたりしました。
そこで感じたのは「ひとりじゃない」ということ。
どうしようもなく悲しくて、でも言えなかった気持ちや虚しさや辛さ。
完全になくなったわけではないですが、私の中にあったそれらは気づけばずいぶんと小さくなっていました。
「今なら書けそうな気がする」
そして、この物語は始まりました。
頭の中にあった時の話はシリアスなもので、さらに美緒と獏の性格も違っていました。
たしか美緒はかなりのマイナス思考で、獏はもっと冷淡な感じだったと思います。
そこから今のふたりになったのには、私の次のような想いからです。
「わかってくれる人はいることを伝えたい」
これは自身の経験からの想いであり、自分の作品を執筆する時に意識していることでもあり、読み返した投稿時代の作品にも通じるものがありました。
もちろんこれとはまた違う作品もありますが、この想いは作品を執筆するにあたって大事にしたいと思っていますし、それがもしかすると自分の強みになるのではとも思っています。
この作品は「他人の夢に迷い込んでしまう大学生・美緒」と「怪しげな店を営む「夢嫌い」の獏」のふたりによる、京都が舞台の「夢と現実をめぐる物語」です。
夢とは眠る時に見る夢もそうですが、物語の中ではそれ以外のもの、例えば願望や過去のことなども夢であり、起きている時にも夢を見るとしています。
どこに行きたい、あれを食べたい、何になりたい……。
そうしたものは全て「夢」で、そうした夢を見られることや夢を言葉として出せることは、とても幸せなことだと、私は思っています。
美緒については、自分が経験したことをはじめ、話を聞かせていただいた方の経験などを参考にしていますが、多くの方が感じたり、経験したことではないでしょうか。
だからこそ、この物語を書くのには、普段作品を書くのとはまた違う決意や覚悟が必要でした。
美緒は夢に迷い込んでしまうこと以外は「実際いても不思議のない女の子」として書いています。美緒は物語を読んでいる人と重なるところの多い、そして誰かのそばにいるかもしれないキャラクターだと思っています。
一方で獏については「強い言葉」を使うキャラクターとして書いています。
色々悩んだり考えたりしてしまう美緒の隣に立つキャラクターとしては、美緒の不安などを打ち消してくれるような「強いキャラクター」が必要だと思ったからです。
獏を書くにあたり「強い言葉」と「きつい言葉」、その違いはなんだろうと考えもしました。
個人的な考え方ですが、ある方のラジオを聴き、強い言葉というのは「その言葉に責任が伴っているかどうか」なのかなと思い、作中で獏が謝るなどの言動に反映されています。
もちろん責任を持つからといって、なにを言ってもいいとは思っていませんし、獏自身もそう思っています。そのあたりやなぜ獏が今のような言葉を使うようになったのか、そしてなぜ甘党なのかなど。そうした部分についてもしっかり考えていますので、ぜひ2巻も出したいです……!
そして、この記事のタイトルにもある「もう一度歩き出すための物語」ですが、それは美緒が大学進学をきっかけに京都に戻ってきたからになります。
美緒は美緒なりにゆっくりですが、前を向いて少しずつ歩き出します。
劇的に明るくなったり考え方が変わるわけではありません。美緒の傷はそんな簡単に治るものではありませんし、簡単に治るものとしては書きたくないと思っています。
それはそうだとわかるからこそ書けることだと思っていますし、それでも歩いていくことができること、歩いてもいいんだということを伝えたいです。
一度止まってしまった後にもう一度歩き出すことは恐くて、とても勇気が必要になります。
もう一度歩き出すことを選んだ人、歩き出すことを願う人、歩き出そうとする人、足が止まってしまったことがある人……。
そうした人達にそっと寄り添える物語になればと。
この作品の主人公・美緒とそんな想いから「もう一度歩き出すための物語」となりました。
この作品が誰かに寄り添える物語になっていれば嬉しいです。
学生だった私は「作家」という夢を持ちながらも「どうせ私なんか無理に決まっている」と、そう思っていました。
どれだけ楽しい明日が来ると無理矢理考えたところで、翌日教室のドアを開けるとまた辛い時間が始まる。楽しいこと・前向きなことを考えたって、現実はどうにもならないと思っていました。
叶うかどうかもわからない夢を見て虚しくなるよりも、あるかどうかもわからない「いつか」を考えるよりも、痛む胃を抱えて、飛んでくる言葉や物を避けながら今日をどう乗り越えるかだけで精一杯。
「いつまで続くんやろ……」
先のことなんて考えたくなくて、消えてしまえるなら消えてしまいたかった。
朝が来ることが恐くて不安でたまらなかった。
眠れない夜や当時の私を支えてくれたのはたくさんの作品や、頭の片隅で考えていた話やキャラクター達でした。
ありがたいことに作家になってからも、この時に考えていた話やキャラクター達を忘れることはありませんでした。
「いつか作品として書きたいなあ、書けたらいいなあ……」
そんなふうに思ってはいたものの、なかなか書く決意ができませんでした。
全く意図していなかったとは言え、美緒は高校時代にいじめられたことから、大学進学をきっかけに京都に戻ってきたキャラクターで、自身の気持ちや経験などを参考にしたキャラクターを書くことは私にとって、ひどく不安でした。
「この物語やキャラクターを書くことは無理かもしれない」
辛かった時の私を支えてくれた大切なはずの物語やキャラクター達。
辛かった時の自身のやり直しのようになってしまうのではないか、そう思われるのではないかと不安で仕方ありませんでした。
大切だからこそ、そんなふうにはしたくないし、思われたくない。
何よりも美緒を「かわいそうな子」にだけは絶対にしたくないとそう思いました。
私がこの物語を書く決意ができたのはたくさんの人と出会って、話をさせていただいたことがきっかけでした。
特別なことを話したりしたわけではありません。
けれど話をさせていただいたことは、私の想いをたしかに変えてくれました。
同じ席について、同じ目線で、友達と笑いながら話すこと。
それはかつての私が憧れていたことで、それをたくさんの人が叶えてくれました。
話す中で大変だったことなども話したり聞かせていただいたりしました。
そこで感じたのは「ひとりじゃない」ということ。
どうしようもなく悲しくて、でも言えなかった気持ちや虚しさや辛さ。
完全になくなったわけではないですが、私の中にあったそれらは気づけばずいぶんと小さくなっていました。
「今なら書けそうな気がする」
そして、この物語は始まりました。
頭の中にあった時の話はシリアスなもので、さらに美緒と獏の性格も違っていました。
たしか美緒はかなりのマイナス思考で、獏はもっと冷淡な感じだったと思います。
そこから今のふたりになったのには、私の次のような想いからです。
「わかってくれる人はいることを伝えたい」
これは自身の経験からの想いであり、自分の作品を執筆する時に意識していることでもあり、読み返した投稿時代の作品にも通じるものがありました。
もちろんこれとはまた違う作品もありますが、この想いは作品を執筆するにあたって大事にしたいと思っていますし、それがもしかすると自分の強みになるのではとも思っています。
この作品は「他人の夢に迷い込んでしまう大学生・美緒」と「怪しげな店を営む「夢嫌い」の獏」のふたりによる、京都が舞台の「夢と現実をめぐる物語」です。
夢とは眠る時に見る夢もそうですが、物語の中ではそれ以外のもの、例えば願望や過去のことなども夢であり、起きている時にも夢を見るとしています。
どこに行きたい、あれを食べたい、何になりたい……。
そうしたものは全て「夢」で、そうした夢を見られることや夢を言葉として出せることは、とても幸せなことだと、私は思っています。
美緒については、自分が経験したことをはじめ、話を聞かせていただいた方の経験などを参考にしていますが、多くの方が感じたり、経験したことではないでしょうか。
だからこそ、この物語を書くのには、普段作品を書くのとはまた違う決意や覚悟が必要でした。
美緒は夢に迷い込んでしまうこと以外は「実際いても不思議のない女の子」として書いています。美緒は物語を読んでいる人と重なるところの多い、そして誰かのそばにいるかもしれないキャラクターだと思っています。
一方で獏については「強い言葉」を使うキャラクターとして書いています。
色々悩んだり考えたりしてしまう美緒の隣に立つキャラクターとしては、美緒の不安などを打ち消してくれるような「強いキャラクター」が必要だと思ったからです。
獏を書くにあたり「強い言葉」と「きつい言葉」、その違いはなんだろうと考えもしました。
個人的な考え方ですが、ある方のラジオを聴き、強い言葉というのは「その言葉に責任が伴っているかどうか」なのかなと思い、作中で獏が謝るなどの言動に反映されています。
もちろん責任を持つからといって、なにを言ってもいいとは思っていませんし、獏自身もそう思っています。そのあたりやなぜ獏が今のような言葉を使うようになったのか、そしてなぜ甘党なのかなど。そうした部分についてもしっかり考えていますので、ぜひ2巻も出したいです……!
そして、この記事のタイトルにもある「もう一度歩き出すための物語」ですが、それは美緒が大学進学をきっかけに京都に戻ってきたからになります。
美緒は美緒なりにゆっくりですが、前を向いて少しずつ歩き出します。
劇的に明るくなったり考え方が変わるわけではありません。美緒の傷はそんな簡単に治るものではありませんし、簡単に治るものとしては書きたくないと思っています。
それはそうだとわかるからこそ書けることだと思っていますし、それでも歩いていくことができること、歩いてもいいんだということを伝えたいです。
一度止まってしまった後にもう一度歩き出すことは恐くて、とても勇気が必要になります。
もう一度歩き出すことを選んだ人、歩き出すことを願う人、歩き出そうとする人、足が止まってしまったことがある人……。
そうした人達にそっと寄り添える物語になればと。
この作品の主人公・美緒とそんな想いから「もう一度歩き出すための物語」となりました。
この作品が誰かに寄り添える物語になっていれば嬉しいです。
そして2巻も出したいので、どうぞ『京都六角通の獏さん 一、夢路の鬼と赤い傘』の応援よろしくお願いいたします。
感想などありましたら、ぜひTwitterなどでいただければ嬉しいです。
最後になりますが、私は俯いていることが多い子供でした。
でもこれまで俯いていたからといって、ずっと俯いたままでいないといけないことはないんです。
これまでできなかったこと、やりたかったことを全部やって、幸せになってやりましょう。
つらさを知っているからこそ「大丈夫」なんて、無責任なことは言えません。
でも、ひとりじゃありません。どうかそのことは忘れないで下さい。
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最後になりますが、私は俯いていることが多い子供でした。
でもこれまで俯いていたからといって、ずっと俯いたままでいないといけないことはないんです。
これまでできなかったこと、やりたかったことを全部やって、幸せになってやりましょう。
つらさを知っているからこそ「大丈夫」なんて、無責任なことは言えません。
でも、ひとりじゃありません。どうかそのことは忘れないで下さい。
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