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月と常夜灯

常夜灯系作家・結来月ひろはの公式サイト

先生嫌いだった私が「先生」だった頃の話


先日、大学時代からお世話になっている先生と数年ぶりに会いました。
この先生は理不尽な出来事があった時に私に対して「我慢をしろ」と言わずに、失礼な言葉を投げてきた相手を怒ってくれた、初めての先生でした。

この出来事だけでなくて、これまで積み重ねられてきたことや考え方も尊敬している、私が心から「先生」と呼べる人です。

先生も怒ってくれた時のことは覚えていてくれて、ようやくお礼を言うことができました。
当時はこんな先生がいるのかとびっくりして、まともにお礼が言えなかったので。

「あなたさえ我慢していれば面倒ごとも問題もないのだから我慢しろ」
これまでに出会った先生はこんなスタンスや、こういうことを直接言ってくる人がほとんどだっで、私は大学でこの先生と出会うまで「先生」が嫌いでした。



そんな私ですが、いろいろな縁があって塾で先生をしていたことがあります。
なんでと、そう思われるかもしれませんが、自分が一番なんでなんと思いました。

「こんな自分に先生がつとまるのか」

やることになったからには責任をもってやろうと、いろいろ準備はしていました。
けれど学生時代の経験がその後に良くも悪くも響いてしまうことがあると知っているからこそ、自分が「先生」と呼ばれる立場になっていいのか不安でした。

初めての授業の日、私を待っていた生徒さん達はとても素敵な人で、きちんと話を聞いて、きちんと宿題もやってきてくれる、いわゆる「いい生徒」でもありました。
でも「先生」という人に対して、どこか不信感があるようなところが気になりました。

教えるべきことを教えていれば、それでいい。
そうとわかってはいたものの、それはなんだか嫌でした。
嫌いな先生達のようにはなりたくない、そんな思いもあったのだと思います。
でも、それ以上にそのまま知らんぷりはしたくはなくて「自分にできる範囲できちんと向き合おう」と決めました。

向き合うとは言っても、私はとくべつなことができるわけでも、面白い話が得意なわけでもなくて。じゃあ、なにをしたのかというと、きちんとあいさつをしたり「今、どんなことが流行ってるん?」と当たり障りのない話をしてみたり、本当にちょっとしたことでした。

それしかできなかったものの、そんなことを続けているうちに、少しずつ生徒さん達も好きな人や好きなものの話、今学校で流行っているものの話、学校であった話、いろいろな話をしてくれるようになりました。

塾という場所は学校と似ているけど学校ではなくて、でも学校の延長のような場所でもあって、少しふしぎな場所だと思います。
そんな場所で出会った、これまたよくわからない私のような、一応先生という立場の人間に話をするのは「この人、大丈夫なんやろか?」をはじめ、いろいろな思いもあったのではと思います。

けれど、そんな中でいろいろな話をしてくれた嬉しさは、今も覚えています。
将来の夢を聞かせてくれた生徒さんや学校であった嬉しい出来事を報告してくれる生徒さん、ファンレターやメールの書き方を教えてほしいと休憩時間に来てくれた生徒さん、作文の授業を通じて書くことに興味を持って物語の書き方を教えてほしいと言ってくれた生徒さんもいました。



たくさんのことを経験していく中で、なんとなくしんどいなという時に「そう言えば、なんかいろいろな話をした変な先生がいたな」と。
どうしようもなくしょうもない、理不尽な先生に出会ってしまった時に「なんかあんな先生もいたし、もっといい先生もいるかもしれない」とふと思い出してもらえたら。

決してできた先生ではなかったけれど、先生嫌いだった私が先生だった意味はあるのではないかとそう思います。

生徒さん達が覚えていなくても、それはそれでいいんです。
楽しいことをどんどん上書きしていってほしい「上書き上等!」という気持ちもあります。

ふと思い出すことがあっても、思い出すことがなかったとしても。
これから進む道にたくさんの幸せがあることを心から願っています。
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