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月と常夜灯

常夜灯系作家・結来月ひろはの公式サイト

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想と考察(2/12追記)

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』見られましたか?

私は見に行きました。もうよかった、すごくよかった、泣きました。
初めて同じ映画をもう1度見に行く経験をして、2回目も泣きました。
(第4弾特典の話を聞いて、もう1回行ってきました!キャラクターデザインの谷田部透湖さんの描かれる表情、とくに笑顔がすごく好きなので特典いただけて嬉しいです。ありがとうございます)

そして「上映終了までにもう1回見たい!!」と思い(ラスト)入村してきました。
回数を重ねるほど、新しい発見やいろいろ考えさせられることがあって、本当にこの作品に出会えてよかったと思います。素晴らしい作品をありがとうございます。

そんな、ただのオタクとして感想やら考察やらを語るだけの記事です。
まだ見てない人はネタバレもあるので避けてください。
初見の人にはできるだけネタバレなしで見てほしい!!

いろいろ語ってますが、あくまでも個人的な感想・考察です。
「人の数だけ感想や考察があるし、あっていい」と個人的に思っているのと、いろいろな視点からの考察を見るのも好きなので、そんなかんじで読んでください。あとパンフレットは売り切れだったので手元にまだありません。


そして、この作品がきっかけで「いろいろな考察が出てくる作品が好きなんだ」と知り「自分の作品で考察してもらっているのを見る」という夢や、やりたいこともできました。
ありがとうございます。

あとシナリオブックを!!シナリオブックを出してください、公式様!!
グッズも大変嬉しいのですが、シナリオブックも欲しいです、公式様!!




Twitterでも呟いていましたが、あえて簡単に感想をまとめるならば「妻へ、息子へ、友へ、子へ。広い意味での愛の物語」だなと思いました。

「愛」は素敵なものだと思いますが、厄介というか……時に怖いものだとも思うんです。
言ってしまえば「○○のために」というのも一種の愛で。
そうした「愛」という耳障りのいい言葉で包み込むことで、正当化されて許されてしまうものや、見えなくなってしまうものもあって。
そうした意味でも、さまざまな「愛」について描かれた作品だったと改めて思います。

あと「片目で見るくらいがちょうどいい」の意味について、ずっと考えていました。
個人的には「自分は両目でしっかりと物事のすべてや真実を見ることができていると慢心するな」という意味合いもあったりするのかなと思いました。

妖怪のように目に見えない存在……でもたしかにそこにいる存在や、幽霊族のように表の歴史から姿を消すことになり、見えなくなってしまった存在が作中では描かれています。

自分が見ているものは、あくまでも「自分が見ようとしているもの」「自分に見えているもの」でしかなく、それですべてが見えている・理解できていると思うのはちがう。

「もしかすると自分はちゃんと物事を見れていないのでは(片目で見ているのでは?)」という気持ちをもって、決して慢心することなく、物事をしっかり見ようという気持ちをもって見ようとする。それくらいでようやくいろいろなものが見えてくる(それでもしてすべてを見通すことはできない)のかもしれないと思いました。




【感想や考察】
以下は感想や考察になります。

映画見た勢いで書き出したものになるので、できるだけストーリー順にしていますが、順番やセリフの語尾などが少し違っている部分などあるかもしれませんがご了承ください。

書ききれない部分ももちろんあります。早く円盤がほしい。


●社長室から列車の中への場面転換時に出目金が月に変わる演出が、浮世絵っぽさを感じて好きです(河鍋暁斎や月岡芳年がとくに好きなので、そういう浮世絵っぽさがよかったです)


●列車の中で咳している子に気づいてタバコを吸うのに躊躇する水木。
本当の水木は優しいんだろうなと感じられてよかったです。


(2/12追記)
●音声ガイドで「哭倉村」の漢字について説明が入るんですが、漢字について説明が入るのは村の名前のところだけで。最初それがふしぎだったんですが、インタビューに村の名前や漢字について書かれていて、そのこだわりや名前への思いを音声ガイドにも反映されているところがすごいと思いました。


●水木が村を歩いていく中で、屋根の描写が印象的でした。
建築に詳しくないのであれなんですが、瓦の屋根と木の屋根で、格の違いのようなものをすごく感じました。


●水木が沙代の鼻緒を直すところなんですが、水木は「自分(の持ち物、それもまだ綺麗な状態のもの)を犠牲」にして、困っている自分(沙代)を助けてくれた。
一族のために犠牲になるのが当たり前だった沙代にとって、そんな人は初めてだったのでは。
だからこそ、水木が自分に近づいた目的を知って、より絶望したのかなと思いました。

(2/12追記)
●「鼻緒が切れるのは縁起が悪い」という俗信があるので、もしかして「これからよくないことが起きる」と暗示していたのでは?


●鼻緒を直して去る水木を見つめる沙代は「この人なら」とか「この機会を逃したら」とか。
いろいろ考えたと思うんですが、自分を犠牲して困っている自分(沙代)を助けてくれた水木を巻き込むことについて少し悩んだりしたのかなとも思いました。
水木に対する恋心もあったんだろうな。


●克典社長は自分のまわりが信じられない人ばっかりだったからこそ、水木の素直さ(野心を隠さない、隠しきれていないところも含めて)を気に入っていたのかも。


●水木をじっと見る親族たちの視線の嫌な感じがすごいリアルで、その感じがゲゲ郎が捕まった時の首をはねようとしているところにつながっていて。
じっとりとした異常性というか、首をはねようとしているのをとめようとしている水木が正しいはずなのに、水木がまちがっていると言うような「何言ってんの、こいつ」的な視線が怖かったです。


●水木の乱闘になるのを察してパッと逃げる、早食い、判断の速さ、「暴力はいけません」と言いながらも必要と判断すればそうした手段を選ぶ躊躇のなさ。
「命がけで戦った経験のある人」の言動が自然に出ていて印象的でした。


●水木が乱闘から逃げて沙代と一緒にいる時、うしろの襖絵が「桜」だったのが、今後への伏線っぽくてよかったです。あと襖絵などもそうなんですが、背景や風景がすごく綺麗です!


●乙米、妹よりも娘の沙代にきつくあたっていたのは「お前だけが逃げるなんて、幸せになるなんて許せない」という思いもあったのでは。
水木ならもしかすると沙代を東京に連れていってしまうかもしれない。
そうなると跡継ぎは、一族は、自分の立場はどうなるのという不安はもちろんあったと思いますが、それ以上に「お前だけが」というのを感じて。
もしかすると村から逃げたいと乙米も沙代くらいの頃に考えていたことがあったのかなと。


●時ちゃん、座敷牢やその中にゲゲ郎がいることに、とくに驚かないのは見慣れた光景だからですか? そんな光景に慣れないで。


●時ちゃんへの反応から見るふたりの優しさのちがいがよかったです。
水木 :地獄を見てきたからこそ、これからに希望を持ってほしい
ゲゲ郎:地獄を見てきたからこそ、これからに希望を持ちすぎてほしくない(失望させたくない)

ふたりとも優しいけれど、スタンスはちがっていて。
それでも時ちゃんの明るい未来を願っている気持ちが伝わってきてよかったです。


●父に石投げてきたこどもを怒る水木。対して怒るでもなにをするでもないゲゲ郎。
こういうことが今までに何度もあったのかなと悲しくなったし、怒ってくれる水木がいてよかった……。
村を歩き回る中の1シーンとして、さらっと描かれていたのが、それぞれにとっての「当たり前」が感じられてよかったです。


●「呪」と掲げてあった鳥居の向きが気になりました。
「向きが逆じゃない?」と思ったのですが、封じていたからあの向きだった?


●墓場で酒をのむシーン、昔からの仲みたいなのに、実際は出会ってまだ数日で。
友でも相棒でもないふたりがお酒をのんでいるのが楽しそうでよかったです。


●「荒事は好かん」と言いながら、めちゃくちゃ荒事しているゲゲ郎、好きです。
戦闘シーン、すごく迫力があってかっこよかった!!
だからこそ、その後に捕らえられて静かに語るシーンがすごくきました。


●冒頭の人形は列車内で咳していた女の子の持っていたもので、工場でアップになった犠牲者が女の子と同じ咳していて。
隣にいた犠牲者が咳しているのを気遣っている様子だったので、隣にいたのって母親では……。
人を集めてたって話が出ていたので「こどもの病気を治せる薬がある」とかで人を集めたりもしてたんだろうな。

(2/12追記)
●時麿が殺された時に「祟りじゃ!」って言ってる村人いたじゃないですか。ゲゲ郎が工場に連れて来られた時に屍になった人がアップになる中で、その村人と髪型が似た屍の人がいたように思ったのが気になります(気のせいかもですが)
もしかすると余計なことを言ったから工場に連れて行かれるはめになって、村人は逆らったりしたらどうなるのかもわかっていたから従っていたのもあったりします?
村人が世話をしているとのことだったので「逆らったり余計なこと言ったらこうなる」を常に見せつけられてるのって、めちゃくちゃ怖いですし「恐怖で支配するやり方」として、ものすごい効果的なんですよね。そして、それがもう何年も続いてたのも考えるとすごく怖い……。


●「幽霊族の人を助けにいくんですね」という沙代のセリフは、最初「ゲゲ郎を人扱いしているのいいな」と思ってたんですが、もしかすると「(人ではない)幽霊族を助けにいく」という水木に対して「こんな自分でも、ひとりの人として見てもらえる、自分も助けてもらえる」と希望を持ったのでは?
水木が自分に近づいた目的を知ったのもですが、その希望を裏切られたという絶望もあったのかなと。


●乙米が水木に沙代がおじい様のお気に入りだったと語るシーンですが、とくに「お前だけが逃げるなんて、幸せになるなんて許せない」という気持ちを感じました。
今までの水木なら取り繕うことができていたんじゃないかと思うんですが、沙代を利用しようと考えていた後ろめたさなどもあって、目を反らしてしまって。
そこから沙代の覚醒シーンにつながっていくのが何とも……あの時、水木が目を反らしていなかったとしたら、どうなっていたんだろう。


●沙代、首絞める前だけ、水木に対して「水木さん」と言ってた気が。
水木を「この村から連れ出してくれる、私を救ってくれる人」と見ていた沙代は、ある意味そこで初めて対等に水木を見たのかなと思うのですが、そうだとしたら切ないです。


●水木の首を絞めた時の沙代は少しの間でしたが人間の状態に戻っていたように見えて。それで首を絞めていたので水木なら逃げられると思うんですよ。裏鬼道を背負い投げしてたくらいで、まして年下の女の子なんで力では水木のほうが勝っていて。
でもあえて逃げずに抵抗らしい抵抗もしなかったのは、水木なりの沙代へのツケの払い方だったのかなと思いました。


●沙代が亡くなってしまったあとの水木の切り替えは「人は簡単に死ぬこと」を知ってるからと、今やるべきことを理解していたからこそ、どうにかして切り替えたように見えました。
ただ利用しようと一瞬でも考えたことや助けられなかったことについては、忘れてしまってもずっと水木の中に後悔として残っていそうですね。同じことは多分できないんだろうな……。


●ちゃんちゃんこになる前、幽霊族のご先祖様たちの目が光ったのが、自身の恨みを晴らすことよりも「未来を託すこと」を選んだように思えました。


●ラストの斧振り下ろした時の水木のセリフの言い方や表情、そのあとのカラッとした表情がすごく好きで。この時の水木が「本来の水木」なのかなと思いましたし、あの時、力や地位を必死に求めていた自分のことも叩き割って、本来の自分に戻れたのかなと思いました。


●水木は最初は相手のことを「自分に利益をもたらすかどうか」の損得勘定で見ていて。
そんな自分自身を見ないようにしていたけれど、少しずつ相手自身のことを「見る」ようになって。最終的には自分自身とも向き合っていたので、それも「見る」にかかっているのではと思いました。
あと「あんた、つまんねぇな」という水木のセリフは、自分自身に向けてでもあったように感じました。


●水木は戦場での経験が元々の自分を覆い隠していたようにも思うので、あのまま他人を踏みにじって力や権力を得たとしても、別の悪夢にうなされるようになっていたのではと思います。
他人を踏みにじるのは、かつての上官がやっていたことで。言ってみれば「そんな人間と同じになること」でもあるので、その時はよくても耐えられなくなってしまいそう。


●「早う行け」と、一体どんな気持ちで言ったのか……。
同じセリフが出てくるんですが、響きがぜんぜんちがっていて。
この時の言葉は本当に友であり相棒である水木に向けたものだなと。


●時ちゃんを迎えにきたのが母でなくというのが、また……。
時ちゃんが近しい人たちの中で唯一心を許せる人で。
沙代も時ちゃんだけが、自分を「ただの沙代」として見て、慕ってくれた人だったのかな。


●エンドロールからのあのラストが……。
村でのことやゲゲ郎のことは忘れてしまったけれど、それでも言葉と想いはたしかに届いていて。鬼太郎を抱き締める水木の姿と、それを見守る目玉の親父の姿に愛を感じました。


●最後にゲゲ郎と別れる時の水木は「国が滅ぶ」と言って犠牲になろうとするゲゲ郎に対して「やらせとけ」と言ってて国(世界)よりも個人(ゲゲ郎)を大事にしてるし選んでるんですが、記憶を失って墓場から出てきた鬼太郎を抱き上げた時は「生かしておいたらどんな災いが起こるか」と個人(鬼太郎)を大事にしてないんですよね……。
その台詞が本当に忘れてしまったんだなと悲しくて。でもその後にゲゲ郎のことを一瞬ですが思い出して、鬼太郎を大事そうに抱き締める流れが何回見ても泣いてしまいます。


●作中に出てくる「炎(火)」の描写、単に炎の温度の関係かもしれませんが、赤い炎と青い炎でゲゲ郎と水木のように対になっているようにも感じましたし、とくに「青い炎」が出てくるシーンは水木や誰かが本音を語っている・見せているシーンが多かったように感じました(墓場での飲み会や沙代の覚醒シーンなど)




【神話などから見た好き勝手な考察】
以下は神話・民俗学・伝承学など、興味のある授業をとにかく片っ端からとっていた広く浅くな人間による、そういう視点での個人による好き勝手な考察です。

いろいろ細かくて見るたびに発見があって、楽しく好き勝手に考察しているだけなので、そんな感じで楽しく見てもらえたら嬉しいです。


●出目金と斧と金太郎
※1月28日追記
パンフレットに出目金について書いてあるそうですが、これを書いた時点ではその情報を知らなかったので、このまま置いておきます。

出目金の柄がなんか錦鯉っぽいなと思って「鯉の滝登り」が浮かんだのですが、あのシーンは水木が自身の出世のために村に行くと言ったシーンで「鯉の滝登り」は立身出世のたとえでもあるので、もしかするとそれにかかっているのかなと思いました。

あとに出てくる斧もあわせると、鯉と斧の組み合わせが「金太郎(坂田金時)っぽいな」とも思いました(金太郎の歌に出てくるのは「まさかり」なのですが、金太郎が持っているあれは正しくはまさかりではなく「斧」という説もあるそうです)

坂田金時は源頼光とともに酒吞童子を退治したひとりでもあるので「斧を持った水木が悪を退治する図(水木が斧を直接振り下ろしたのはドクロですが)」で共通するところもあって面白いなと思います。

あと、あの水木の持ってるのは「斧派」と「まさかり派」がいると聞いたのですが、どちらなんでしょうね?


●沙代の髪
沙代が狂骨を操るところでリボンがほどけて、髪の毛が長くなっています。
髪は「霊力の根源」といわれているので、結んでいた髪がほどけて長くなっているのは沙代の霊力の強さ、霊力の暴走や怒りがあらわれているように思いました。

たしか乙米が沙代の霊力の高さに言及している場面もあったと思いますが、作中に出てくる女性で髪が長いのは髪を結っている乙米と沙代で。

乙米の妹ふたりはそれぞれ短いので、そこまで霊力はなかったのかもしれないです(それか早い段階で乙米が跡を継ぐ、姉妹の中で乙米の立場が一番強いものと決まった時に髪を短く切ったとか?)
長田の髪が長いのは、狂骨を操るために少しでも霊力を蓄えておくためかもしれないですね。


●水木の黄泉がえり
水木は桜のところで血を浴びて倒れます。その時には瀕死に近い状態だったのではと考えられますが、その後に再び立ち上がっています。

「穴倉(洞窟)」は誕生と死、そして黄泉国のイメージ、「水」は生命を司るものと考えられていることをふまえると「黄泉がえり」に近いように思います。

そう考えると最後に水木が記憶を失ったこと、髪の色が変化したことは「黄泉国から現世へ戻るための代償(を払った)」と見ることもできます。


●ねずみの役割 ※1月6日追記
「おむすびころりん」では、おむすびを追いかけたおじいさんが、大国主命の神話や『古事記』では火に囲まれた大国主命が「ねずみ」に助けられています。

ねずみは「根の国」に住んでいることから「根住み(棲み)」とされており、この「根の国」というのは「黄泉国や浄土への入口」と考えられていました。

作中では水木を離れに案内し、水木を船に乗せて島に連れて行き、沙代からの言伝や日記を届けと水木を助けていて、昔話や神話などで見る「ねずみの役割」と同じような役割(主人公を助ける)を作中で担っていたのが面白いです。



学生時代に戻ったようで考察書いてて、すっごく楽しかったです!!
考察を呟いている人も多くて、どの人も楽しくそれぞれの考察をされていて、自分にはない視点からまた物語や作品を考えることができて楽しいです。

余談ですが、私がとっていた神話・民俗学系の先生は、ゼミ室にフィギュアを飾っているくらいのゲゲゲの鬼太郎ファンで。あの先生なら、絶対にゲ謎見に行っていると思うので「神話・民俗学などから見たゲ謎」とかいうテーマで、どこかで公開講座やってくれないかなと本気で思っています(行きます行きたい)
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